台風その後

イソシギ(磯鴫)

 台風19号が去って六日目。東京神奈川の都県境を流れる多摩川ではその両岸にメガロポリスが忘れていた浸水被害が発生した。橋梁から見る河川敷の荒廃は川の暴れっぷりを今も尚留めている。

 地元の小河川もさぞかし荒れただろうと思い込んでいたのだが、訪ねてみれば水嵩こそ少々多めながらかつてないほど透明な水流に驚いた。巡回していた河川関係者が言うには、川底に堆積していた土砂が下流に押しやられたことが原因らしい。

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 浅瀬にいたのはイソシギ。渓流と遜色ない透明度に水底の足もくっきり見えている。

カワセミセキレイの類いなど、レギュラーの鳥たちも元気そうな様子。まずは安堵と思いたいのだが、またもや台風20号が接近中だとか。今年の関東は台風の波状攻撃に晒されているかのようだ。

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- 撮影データ:Canon PowerShot G9 X Mark II / Kowa TSN-824M + TSE-14WE(32x)

嵐の後の満月

台風19号(Hagibis)去る

 川沿いの開けた土地は幾たびの氾濫で形成されているし、大地の起伏は地殻の運動で生じている。我らの住まう大地は連綿とした天変地異の過程に存在している。そんな当たり前のことを台風や地震の度に思い知らされる。

 さて、台風一過の快晴は日没とともに終わりを告げ、月は雲の隙間を縫うように昇り始めた。明朝6時の月没頃がピークタイムなので半日フライングだが、今宵が満月といっても嘘にはならないだろう。

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 月の外周を遠慮がちな虹色が囲っている。月暈ならばもっと大きな外周になるはずなので、あくまでも薄雲による屈折現象なのだろう。理屈はともかく、なかなかに神々しい。

 そう、月の運動もまた潮汐に影響し、地上の変化にコミットしながら永遠にも似た時間を刻んでいく。

 

- 撮影データ:Canon EOS 6D Mark II / Canon EF400mm F5.6L USM

逃げるが勝ちの自然災害

後先考えず避難を!

 朝5時過ぎに豪雨の音で目が覚める。以来刻々風雨は激しさを増し続けている。

我家は高台のマンション。土砂災害に無縁とはいわないが、避難勧告の対象からは外れている。不安はライフラインだが、こればかりは手の出しようがない。

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 河川の周囲ではレベル5の警報も出ている。雪害の顛末を振り返るもなく大都市生活者は天象を軽んじがち。だが自然の猛威には地方も都会もない。後先考えずに逃げましょう。

台風接近 侮るなかれ

栗名月は嵐に呑まれそう(月齢9.726)

 とうに過ぎてしまったが、10月2日は「望遠鏡の日」だそうな。1608年にオランダの眼鏡職人ハンス・リッペルハイなる人物が発明したことを記念しているらしい。かのガリレオ・ガリレイ木星の観測を行ったのが1610年なので、望遠鏡は当時のハイテク最先端だったのだろう。

 そして現代。不肖ヒゲボウズの所有する望遠鏡は双眼鏡を覗けばフィールドスコープに限られる。いや、望遠鏡の類いを所有する世帯平均など知るべくもないが、個人的には虎の子にも等しい相棒なのだ。我が老朽スコープは祝福されなければならない。

 さらにである。明後日10月11日は旧暦の長月(ながつき)十三夜、栗名月あるいは豆名月。台風19号の関東上陸が迫る中、明晩以降はお月見どころではないだろう。ということで「望遠鏡の日」を知った記念も兼ねて台風襲来前の月を観望&撮影。

 輪郭に浮いている青緑色は色収差。この光学系の欠点を露呈している。とはいえ分解能そのものは口径82mmとしては及第点だろう。ましてや天体望遠鏡にあらず、地上観察用のフィールドスコープなのだから。 

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 先月の十五夜芋名月で、十三夜は栗または豆名月。旬を愛でるというよりは収穫を言祝ぐ意味があったのだろう。

 この時期の台風は珍しくもないけれど、このところ天象のもたらす災害が続きすぎている。台風19号が収穫に影響しないこと、そして大きな災害をもたらさないことを祈るばかりだ。

- 撮影データ:Canon PowerShot G9 X Mark II / Kowa TSN-824M + TSE-14WE(32x)

小型の鷹と安全保障

ツミ(雀鷹)♀

【タカ目タカ科】

 オオタカハイタカの近縁だけに猛禽としての貫禄は十分。だがその全高は30cmほどに過ぎず見慣れたハトと同じ程度の大きさ。一回り小型なオスに至っては27cmとヒヨドリとほとんど変わらない。

 とはいえ成りは小さくてもタカであることに変わりは無く、一対一ならハシブトガラスでさえ追い払ってしまうファイター。繁殖期には巣から50m半径を絶対防衛圏とすることが知られている。

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 ハシブトやハシボソガラスを天敵とするオナガはツミの巣近傍の林で繁殖することで安全保障としている。スズメなどを狩るツミも脅威だがカラスはそれ以上に厄介なのだろう。虎ならぬツミの威を借りているわけで、なにやら我が国に似ているような気もする。

 ところが如何せん都会ではカラスが増えすぎた。さしものツミでも防ぎきれないようで、オナガの編み出した安全保障システムは効力を失い始めているらしい。某国が台頭し始めたアジア情勢にも似た成り行きに焦燥を覚えるのはトリバカのヒゲボウズだけだろうか。

- 撮影データ:CASIO EX-Z850 / Kowa TSN-824M + TSE-14WE(32x)

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スズメ今昔物語

スズメ(雀)

【スズメ目スズメ科】

 収穫間際の田圃で10羽ほどのスズメと彼らに倍するカワラヒワの群れを見かけた。今やカワラヒワにさえ数で負けているスズメの凋落に唖然とする。

 そういえば黄金色の田圃でスズメの乱舞を見たのはいつだっただろうか。バックアップ用のハードディスクを遡ること14年、ようやく見つけ2005年のフォルダーから引っ張り出したのがこの画像。

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 スズメが減っているといわれ始めて何年経つだろう。横浜郊外という穀倉地帯とは言い難い土地柄もあるだろうが、その傾向は実感などという言葉では追いつかない。この時期の田圃で防鳥ネットを見かけることも少なくなってきたし、案山子にいたってはコンクール的なイベントでしか見かけない。

 子供のころの当たり前の光景が過去のものとなっていくのは致し方ないことだ。だが日常を取り巻く生物の多様性がゴッソリと失われていく現実はただ事ではない。

 大型化する台風など自然災害の元凶を温暖化に結びつける説が有力だが、被害を被るのは人間だけではない。台風15号は千葉県や伊豆諸島などに大きな災害をもたらせたが、南関東の広範囲でスズメやムクドリが落命したことはあまり報じられていないようだ。家屋の構造が変わったことや藪の減少など、理由は幾つか思い当たる。

 スズメが住めないところには人も暮らせない。そんな当たり前な事に気付くことが先決かもしれない。

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インスタ映えは免罪符!?

ノビタキ♂(野鶲)

【スズメ目ヒタキ科】

 2回続けてのノビタキ、今回登場のオスをバードウォッチャーは「のび太」などと親しみを込めて呼んでいる。

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 頭部や目の周辺が黒い鳥は撮り手泣かせだ。よほど光線状態に恵まれないと目が判らなくなってしまう。オナガシジュウカラほどではないにせよノビタキのオスも例外ではない。人間だってサングラスで目を隠してしまうと表情が読み取れないが、鳥にも同じことが言えそうだ。

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 ノビタキは雌雄それぞれが夏と冬で衣替えをするのだが、秋の渡りシーズンの彼らは衣替えを終えて冬羽を纏っている。長年彼らの夏羽を見たいと思っているのだが、どういうわけか春の渡りは足早すぎて出逢えたためしがない。来年初夏は是非とも高原で繁殖に勤しむ彼らと会ってきたいと考えている。

- 撮影データ:Canon IXY210F / Kowa TSN-824M + TSE-14WE(32x)

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インスタ映え」のゆくえ

 アサヒカメラ9月号の記事が話題になっている。 

アサヒカメラ 2019年 09 月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2019年 09 月号 [雑誌]

 

「風景写真があぶない! レタッチしすぎの罠」という見出しで昨今の不自然なほどレタッチした風景写真を批判した内容なのだが、要は「インスタ映え」に警鐘を鳴らす内容となっている。 

 最近Instagramを始めたヒゲボウズにはとてもタイムリーな内容で、世間の賛否を含め興味深く読んでみた。

 まぁこんな論議は煎じ詰めれば個人の好みで賛成も反対もないのだが、写真を字義通りカメラを用い「事象を写実」する手段と考えるか、絵画やイラストと同じ平面構成として、絵筆やグラフィックソフトと同列またはデータソースとしてカメラを使うかの違いだと思う。

 ただし、後者の場合は一歩間違えると嘘をつくことになってしまう。つまり虚構あるいは表現手段であるとの前提がないと誤解を生むこともあるわけだ。

 ここまで書いて思い至った。「インスタ映え」というワードは多少の虚構は許してくださいという免罪符の機能を持っているのかもしれない。そう考えると少しだけ微笑ましく感じてくるから不思議だ。

 

 ところで、四半世紀ぶりにカメラ雑誌を買った*1。改めて読んでみると写真誌なのかカメラ誌なのかよく分からない。この辺りの不明瞭がどうにも歯がゆいのは歳のせいだろうか。

*1:アサヒカメラや日本カメラなど銀塩フィルム時代からのカメラ雑誌