ノビタキ♂(野鶲)
【スズメ目ヒタキ科】
2回続けてのノビタキ、今回登場のオスをバードウォッチャーは「のび太」などと親しみを込めて呼んでいる。
頭部や目の周辺が黒い鳥は撮り手泣かせだ。よほど光線状態に恵まれないと目が判らなくなってしまう。オナガやシジュウカラほどではないにせよノビタキのオスも例外ではない。人間だってサングラスで目を隠してしまうと表情が読み取れないが、鳥にも同じことが言えそうだ。
ノビタキは雌雄それぞれが夏と冬で衣替えをするのだが、秋の渡りシーズンの彼らは衣替えを終えて冬羽を纏っている。長年彼らの夏羽を見たいと思っているのだが、どういうわけか春の渡りは足早すぎて出逢えたためしがない。来年初夏は是非とも高原で繁殖に勤しむ彼らと会ってきたいと考えている。
- 撮影データ:Canon IXY210F / Kowa TSN-824M + TSE-14WE(32x)
「インスタ映え」のゆくえ
アサヒカメラ9月号の記事が話題になっている。
「風景写真があぶない! レタッチしすぎの罠」という見出しで昨今の不自然なほどレタッチした風景写真を批判した内容なのだが、要は「インスタ映え」に警鐘を鳴らす内容となっている。
最近Instagramを始めたヒゲボウズにはとてもタイムリーな内容で、世間の賛否を含め興味深く読んでみた。
まぁこんな論議は煎じ詰めれば個人の好みで賛成も反対もないのだが、写真を字義通りカメラを用い「事象を写実」する手段と考えるか、絵画やイラストと同じ平面構成として、絵筆やグラフィックソフトと同列またはデータソースとしてカメラを使うかの違いだと思う。
ただし、後者の場合は一歩間違えると嘘をつくことになってしまう。つまり虚構あるいは表現手段であるとの前提がないと誤解を生むこともあるわけだ。
ここまで書いて思い至った。「インスタ映え」というワードは多少の虚構は許してくださいという免罪符の機能を持っているのかもしれない。そう考えると少しだけ微笑ましく感じてくるから不思議だ。
ところで、四半世紀ぶりにカメラ雑誌を買った*1。改めて読んでみると写真誌なのかカメラ誌なのかよく分からない。この辺りの不明瞭がどうにも歯がゆいのは歳のせいだろうか。