古城再訪

今帰仁城(なきじんじょう)趾

 14世紀の琉球は北山・中山・南山の三大勢力が覇を争った三山鼎立(ていりつ)*1の時代。今帰仁城は北山王の拠点として成立し、中山によって滅ぼされた後も1609年の薩摩軍侵攻により炎上するまで監守の居城だったとあります。

 今回は2005年以来の再訪。前回夕暮れ迫る曇天下で訪れた城趾はまさに「荒城」の風情だったと記憶。が、今回は圧倒的な快晴。この十数年で進んだ環境整備も相まって城趾の美しさが際立ちます。世界遺産、そして日本100名城に名を連ねるのもなるほどと納得。

 まずは外郭から見た内郭の城壁。曲線を織りなす石垣の連なりこそが今帰仁城の魅力でしょう。

  広々とした外郭から平郎門をくぐり抜け内郭へ。この辺はカンヒザクラが植えられているので、1~2月の開花時季はかなりの人出だそうな。

  城壁越しに望む海は東シナ海。手前の谷に目をやれば素人目にも難攻だったろうことは容易に想像できるし、山城としての機能のみならず大陸との交易船など水運を見張る意味もあったのかも知れません。

  最奥の郭(志慶真門郭シゲマショウカク)は城主の近親や重臣の住まいがあったとか。杭が往事の屋敷跡を示しています。

  志慶真門に至る趣のある石組み。

  そして主郭(本丸)。今帰仁城の栄華と衰退の絶えず中心であった処。この火之神の祠がいつの時代のものかは寡聞にして知らないけれど、城の滅亡後も祈りの場であり続けてきたのでしょう。

  駆け足の城趾探訪。駐車場や資料館など環境整備も進み、世界遺産登録とは即ち地元のパッションでもあるのだと納得した次第。沖縄本島中南部の城群及び王朝関連施設*2や再建の始まった首里城*3等々、歴史は好きとしては琉球文化遺産を巡る旅も楽しかろうと思います。プライベートでの再訪を期すこととし、沖縄出張を終えました。

*1:資料で初めて知った言葉だけど、鼎(かなえ・てい)は古代中国の三本足の鍋型青銅器。鼎立はそれに由来し3つの勢力が並び立つ状態だそう

*2:世界遺産登録は首里城今帰仁城以外に座喜味城(ざきみじょう・勝連城(かつれんじょう)・中城城(なかぐすくじょう)・識名園(しきなえん)・斎場御嶽(せーふぁうたき)・玉陵(たまうどぅん)がある

*3:復元工事が始まっている首里城本殿は2026年秋に完成する予定