六十年の記憶

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸

 全く別の目的で訪れた青森にて、夕食処を探しがてら駅周辺をそぞろ歩き。すると錆の浮いた黄色い船が接岸している光景が見に飛び込んできた。案内板には「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」とある。なんでも青函連絡船としての役割を終えた船舶を青森駅に隣接した埠頭で海上博物館として保存展示しているらしい。  時間は既に夕刻。内覧できる時間は過ぎており、薄暮の中で目に留まった光景をiPhoneで撮るうちに、色は違えどなんとなく船名に憶えがあるような。

 遙か昔の記憶を辿ってみるに、子供の頃に家族旅行で乗った船だと思い至る。亡父が「新造船だ」とか「処女航海」と語っていた記憶も合わせ調べてみると、なるほど1964年7月31日竣工とある。逆算するとヒゲボウズ7歳の記憶。乗り物好きは今に始まったことではなかったようだ。  旧国鉄の船舶だけに、可動橋を介し鉄道車両を積み込めた。さしずめカーフェリーならぬトレインフェリーだったことになる。

 青函連絡船といえば太平洋戦争末期に悉く米軍に沈められた悲しい過去があるし、台風で沈没した洞爺丸事故も水難史に刻まれている。博物館としての八甲田丸には機会を改めて再訪したいと願うのみ。