多様性と精神のキャパシティ

ジャポニカ学習帳の表紙から昆虫のクローズアップ写真が無くなるそうだ。
児童や保護者、そして教師からの「気持ち悪い」という苦情が理由だという。
野原の遊び場が消滅した時代を生きる子供たちにとって、昆虫はグロテスクでしかないのだろう。
ましてや生理的な嫌悪には蓋は出来ない。
これも時代の流れといってしまえばそれまでだが、教師からも苦情が出ていたことにはショックを禁じ得ない。

だがどんなに嫌われようが、どっこい昆虫は生きている。
おそらくは生命の連鎖の中で何らかの役わりも果たしていることだろう。
「嫌われもの」=「余計なもの」ではないということを、教育の現場にいる人々が理解し指導してくれることを切に願う。

加うるに、今を生きる日本人は事物への嫌悪を隠さない。
身のまわりのあらゆる「嫌なもの」を排除し、殺菌・消臭スプレーを多用する。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」の典型で、生理、精神ともに免疫力や耐性が低下の一途というのも頷けてしまう。

生理的な免疫力低下は深刻な問題だが、精神の耐性低下はさらに始末が悪い。
「あいつはキモイ」という感情は精神のキャパ不足から起こり、抑制が効かぬままイジメに直結していると思えるのだ。

生理的な虫嫌いは身の周りにも大勢いるし、かく言う髭坊主もヘビを見ればたじろいでしまう。
「キモイ」とか「嫌い」と感じる感情は誰しも持っているし否定できるものではない。
であるとしても、過ぎた嫌悪が多様性の否定につながることは自覚していたいものだ。

さらば、ジャポニカ学習帳の昆虫たち。